なんちゃって村田のジャイアンツ blog

ジャイアンツ、試合結果、選手プロフィール

2015-04-30から1日間の記事一覧

読売ジャイアンツの第71代4番打者「二岡智宏」のプロフィール

1999年は126試合に出場し打率.289、18本塁打の成績を残した。 2000年9月24日の対中日戦では巨人のセントラル・リーグ優勝を決めるサヨナラ本塁打を打った。 22002年には二番打者として定着、112試合に出場し、巨人の遊撃手としては初の20本塁打以上となる24…

プロ野球 2015 巨人×中日 6回戦 〜東京ドーム〜

巨人 中日 (中)橋本 (中)大島 (二)片岡 (二)亀澤 (一)アンダーソン (右)平田 (左)大田 (一)ルナ (遊)井端 (左)ナニータ (三)村田 (遊)エルナンデス (右)長野 (三)高橋 (捕)実松 (捕)谷繁 (投)マイコラス (投)バルデス …

読売ジャイアンツの第70代4番打者「李 承燁」のプロフィール

2006年開幕戦で加藤武治から巨人移籍後初本塁打を放った。8月1日には日韓通算400本塁打を達成、故障者続出の中でフル出場を続け、打率.323・本塁打41・打点108と来日以降最高の成績をマークした。前年まで苦しんでいた左投手に対してもこの年は打率.338をマ…

読売ジャイアンツの第69代4番打者「小久保裕紀」のプロフィール

2004年、3番・三塁手で阪神との開幕戦に出場すると、翌試合に福原忍から東京ドームのライトスタンド中段へ移籍後初安打・初本塁打を記録。5月には負担の少ないすり足打法から元の一本足打法に戻すと、本塁打を量産。前半戦最後の3連戦で4本塁打を放つなど活…

読売ジャイアンツの第68代4番打者「ロベルト・ペタジーニ」のプロフィール

2003年、一塁手には清原和博がいたため、主に外野手として出場。同年5月、左膝故障で登録抹消。その影響で100試合の出場にとどまったが、打撃面では9月13日に史上11人目となる5年連続30本塁打を記録するなど、打率.322、34本塁打、81打点の成績を残した。ま…

読売ジャイアンツの第67代4番打者「ドミンゴ・マルティネス」のプロフィール

1999年は打線の迫力不足に悩んでいた巨人が6月に獲得。最初は代打で不振が続いたものの、レフトでのスタメンで起用されると活躍し、同年は不振と故障に喘いだ清原に代わり、4番・ファーストに入ることも多かった。 対広島東洋カープ戦でレフトポール際の本塁…

読売ジャイアンツの第66代4番打者「高橋由伸」のプロフィール

1998年プロ1年目での打率3割(規定打席到達)は史上7人目、セ・リーグでは長嶋茂雄以来40年ぶり。さらに新人での満塁本塁打3本は史上初だった。 1999年 開幕戦から3試合連続本塁打を放ち、4月には打率.433、8本塁打、29打点を記録し月間MVPを獲得。 2000年9…

読売ジャイアンツの第65代4番打者「石井浩郎」のプロフィール

1996年には左手首を骨折し、2試合の出場にとどまる。同年オフ、球団が日本プロフェッショナル野球協約の制限を超える50%ダウンの年俸提示に対して、年俸調停を申請。日本野球機構からの要請を受け、一旦近鉄と契約した後に石毛博史・吉岡雄二との2対1の交換…

読売ジャイアンツの第64代4番打者「清原和博」のプロフィール

1996年にFA宣言。巨人監督・長嶋茂雄の「僕の胸に飛び込んできなさい」という口説き文句が話題となった。5年契約で念願の巨人に移籍した。 1997年は開幕3試合目に移籍第一号となる本塁打を放って、西武時代の終盤と遜色ない成績を残す。 1998年は原辰徳の12…

読売ジャイアンツの第63代4番打者「シェーン・マック」のプロフィール

1994年から1995年のMLBストライキの影響もあって1995年に総額8億円(推定)の2年契約という当時としては破格の条件で読売ジャイアンツに入団。前年は、規定不足ながら打率.333・15本塁打と活躍していただけあって大いに期待された。もっとも、獲得が決まった…