なんちゃって村田のジャイアンツ blog

ジャイアンツ、試合結果、選手プロフィール

2015-05-01から1日間の記事一覧

読売ジャイアンツの監督「王貞治」のプロフィール

1984年、第11代監督就任。しかし、前年リーグ優勝したチームを受け継ぎながら3年間優勝から遠ざかり、監督としての資質に疑問を呈する声がファンや評論家からあがる。 監督就任4年目、中日との開幕戦での西本聖の完封勝利で1987年のシーズンが幕を開ける。ま…

読売ジャイアンツの監督「藤田元司」のプロフィール

「指導者として優れた人心掌握術・育成術を持っており、日本海軍連合艦隊司令長官であった山本五十六の「やってみせ、言ってきかせて、させてみて、誉めてやらねば人は動かじ」を座右の銘にしていた。「誰だって怒られるよりは褒められた方が嬉しい。選手だ…

読売ジャイアンツの監督「長嶋茂雄」のプロフィール

第1次巨人監督時代1974年11月21日、巨人の第9代監督に就任した長嶋は、「クリーン・ベースボール」を標榜した。川上が築き上げた確率野球(自らの失策を減らし、相手の失策を誘い、そこにつけこんで勝利するスタイル)を捨て、投、打の力量差がそのまま勝敗…

読売ジャイアンツの監督「原辰徳」のプロフィール

第一次監督時代2001年シーズンオフ、勇退した長嶋の後任として第14代巨人監督に就任。背番号は83。 2002年は、引退も考えていた桑田真澄の先発復帰、故障で一軍から離脱していた河原純一の抑え転向、清水隆行の1番起用など大胆な選手起用を行い、就任1年目に…

読売ジャイアンツの監督「川上哲治」のプロフィール

現役時代より、その卓越したバッティング技術から「打撃の神様」の異名を取り、戦時中から戦後におけるプロ野球界の大スターとして活躍。終戦直後は「赤バット」を使用してこれが彼のトレードマークとなり、「青バット」を使用した大下弘と共に鮮烈な印象を…

読売ジャイアンツの監督「水原茂(円裕)」のプロフィール

1950年から第7代監督に就任した。選手兼任監督だった1950年は3位に終わるが、1951年から1953年までリーグ3連覇・日本一。巨人の「第二期黄金時代」を築いた。選手には与那嶺要、川上哲治、千葉茂、広田順、別所毅彦ら名選手が揃っていた。1955年は再び独走で…

読売ジャイアンツの監督「三原脩」のプロフィール

1947年シーズン途中の6月3日には、球団が成績不振に悩まされていたため、監督に就任することを球団側と合意、同6月6日、大学の後輩である監督の中島治康に配慮し、助監督・技術顧問へ就任した。9月には総監督へ就任し、実質的に指揮権を握った。 翌1948年は…

読売ジャイアンツの監督「藤本英雄」のプロフィール

1942年秋に明治大学を卒業 し、同年シーズン中の東京巨人軍に入団。明大時代に通算34勝を挙げて優勝投手にもなった六大学随一の豪速球投手のプロ入りで、当時主将の水原茂が応召された直後ということもあり、9月27日の初登板の際には読売新聞に先発予告が掲…

読売ジャイアンツの監督「中島治康」のプロフィール

1936年のリーグ戦開始時から巨人でプレーし、強打・強肩の外野手として活躍。1938年秋季には打率.361、本塁打10、打点38でプロ野球史上初の三冠王となった。当時は三冠王という概念はなく、1965年に野村克也が三冠王と獲った時に1938年の記録をどう扱うか問…

読売ジャイアンツの初代監督「藤本定義」のプロフィール

東京鉄道局野球部(現:JR東日本)の監督。1935年、第1回アメリカ遠征から帰国した東京巨人軍との巡業試合で2勝をあげる。この時の巡業で巨人は36勝3敗であり、その3敗のうち2敗を喫させた手腕を見込まれ巨人監督に招聘される。 1936年6月16日に第2回アメリ…

読売ジャイアンツの第81代4番打者「大田泰示」のプロフィール

2012年は自身初の開幕一軍入りを果たすが開幕後も調子は上がらず4月10日に二軍降格。9月1日に再昇格し同日の横浜戦に「7番一塁」でスタメン出場。先制タイムリーを含む3打点、自身初の猛打賞の活躍でお立ち台に上がった。9月23日のヤクルト戦で待望のプロ第1…

読売ジャイアンツの第80代4番打者「フレデリック・セペダ」のプロフィール

特有の柔らかさとパワーを兼ね備えたスイッチヒッター。2009年の第2回WBCでの打撃は大リーグのスカウトの注目を集め、誕生日が近いマーク・テシェイラと同等との評価を与えるスカウトもいた。選球眼に定評があり非常に四球が多く、来日直前のシーズンではシ…

読売ジャイアンツの第79代4番打者「レスリー・アンダーソン」のプロフィール

2013年は開幕戦では7番・左翼手で先発し、リリーフの鶴直人から来日初本塁打をマークした。4月26日の広島戦では球団史上第79代4番打者に座り、初回に内野ゴロの間に打点、5回に適時内野安打、7回にはダメ押し本塁打を放つなど4打点を記録した。その後も5月7…

読売ジャイアンツの第78代4番打者「ジョン・ボウカー」のプロフィール

2012年。巨人が自前で獲得した左打ち専門の外国人選手は1992年のロイド・モスビー以来20年ぶりとなる。シーズン終盤に昇格して3試合で8打数4安打と結果を残し、クライマックスシリーズ出場メンバー入りする。CSでも10打数5安打を放ち、北海道日本ハムファイ…

読売ジャイアンツの第77代4番打者「ホセ・ロペス」のプロフィール

2013年、開幕戦の3月29日の対広島東洋カープ戦では3回裏に初打席初本塁打を放った。開幕戦での新外国人選手の初打席初本塁打は1991年のフィル・ブラッドリー以来、球団では2人目である。同年8月25日の対横浜DeNA戦では来日初の満塁弾を放った。また、9月にシ…

読売ジャイアンツの第76代4番打者「村田修一」のプロフィール

2012年5月1日、第76代4番打者に就く。8月30日の中日ドラゴンズ戦で自身5年ぶりの盗塁を決めた。全試合出場を果たし、自身2度目のベストナインを獲得した。 2013年 グリップの位置を肩まで下げるように打撃フォームを改造したことが功を奏し、7月は自身初の月…

読売ジャイアンツの第75代4番打者「長野久義」のプロフィール

打撃ヒットゾーンが広く、ボールゾーン打率がリーグ平均を大きく上回る。打席ではホームベースから離れて構える。これは外角のスライダーの見極めに難があったためで、Honda時代にコーチの助言で離れて立つようになった。内角のボールは鋭く踏み込んで左方向…

読売ジャイアンツの第74代4番打者「アレックス・ラミレス」のプロフィール

首位打者を1度、本塁打王を2度、打点王を4度、さらに最多安打を3度獲得するなど打撃に優れている。早打ちの傾向があり、2007年の初球打ちの打率は5割を超えたが、それゆえに四球が非常に少ない。巨人移籍後は出場試合が多いながらも全てのシーズンで三振は10…

読売ジャイアンツの第73代4番打者「小笠原道大」のプロフィール

2007年9月15日には史上4番目の速さで通算1500本安打を達成。最終的には3割30本を達成。前年に続いての2年連続MVPを獲得。なおセ・パ両リーグでのMVP受賞は江夏豊以来2人目であり、野手としては史上初。さらにリーグを跨いでの2年連続獲得も史上初である。 20…

読売ジャイアンツの第72代4番打者「阿部慎之助」のプロフィール

強打の捕手として知られ、基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年で両リーグ最高打率.318、同OPS.935を誇った。スイングを始めてから腰を捕手方向にひねるツイスト打法により緩急に対応し、内角の球も切れずにスタンドに運ぶ技術を持つ。左打者なが…