なんちゃって村田のジャイアンツ blog

ジャイアンツ、試合結果、選手プロフィール

長嶋茂雄

V9「左のエース」高橋一三さん死去

「長嶋さん、高橋一三さん悼む「忘れられない心根の優しさ」」 巨人V9を左のエースとして支えた高橋一三氏が14日午後、多臓器不全のため東京・武蔵野市の病院で死去した。69歳だった。9連覇を達成した73年にも23勝をマークするなど活躍を見せた故…

読売ジャイアンツの歴代ストッパー「條辺剛」のプロフィール

1999年のドラフト会議で読売ジャイアンツ(巨人)から5位指名を受け、入団。150km/h近いストレートが持ち味であったものの、投手としては2年間1軍での登板がなければ野手転向となる条件付きであった。2000年の最終戦であったヤクルト戦で一軍初登板初先発。…

読売ジャイアンツの歴代ストッパー「岡島秀樹」のプロフィール

1996年5月7日の広島東洋カープ戦でプロ初勝利を挙げた。1997年、開幕前の燦々会で当時の長嶋茂雄監督から注目の若手として斉藤宜之と共に大々的に紹介され初の開幕一軍を果たし6番目の先発投手としてローテーション入りを果たした。1999年8月31日の対中日23…

読売ジャイアンツの歴代ストッパー「西山一宇」のプロフィール

1992年のドラフト3位で巨人に入団。プロ入り後は、2年間はプロ入り前からの故障の影響もあり通算2試合の登板に終わるが、3年目1995年のシーズン途中から150km/hオーバーの速球とスライダー・フォークを武器に不調の石毛博史に代わり抑えとして、5勝7セーブ、…

読売ジャイアンツの歴代ストッパー「橋本清」のプロフィール

地元・大阪のPL学園高校の右のエース(背番号・10)として、左のエース野村弘樹との二枚看板で1987年に甲子園で春・夏連覇に貢献(同校初)。同学年のチームメートに立浪和義・片岡篤史・野村弘樹・桑田泉らがいた。また、入学当初PL学園の寮では通常1年生と3年…

読売ジャイアンツの歴代ストッパー「石毛博史」のプロフィール

1992年、宮田征典投手コーチに「故障で長いイニングは持たないが、連投の効く体質を見出され(本人談)」、藤田元司監督に抑え投手としての適性を見出される。 1993年には最高速154km/hの荒れ球のストレート(故障で肘が曲がっていることによる)とフォーク…

読売ジャイアンツの歴代ストッパー「水野雄仁」のプロフィール

池田高校時代は、1982年、1983年の全国高等学校野球選手権大会、1983年の選抜高等学校野球大会と3大会連続甲子園に出場。82年夏・83年春における史上4校目の「夏・春連続制覇」、1983年夏のベスト4進出の中心選手として活躍した。83年春・夏はエース・4番と…

読売ジャイアンツの歴代ストッパー「鹿取義隆」のプロフィール

右サイドスローからの多彩な変化球が持ち味で、キレの良いスライダーとシンカーに加え、1989年頃からはチェンジアップも持ち球に加えていた。サイドスローのため、左打者を苦にすると見られる事が多かったが、膝下に落ちるスライダーなどがあって左打者の方…

読売ジャイアンツのフリーエージェント選手「川口和久」のプロフィール

長嶋茂雄監督から直接誘われたこともあって巨人に入団した。1995年は4勝に終わり、1996年も4月から不振で5月に先発ローテーションから外された。リリーフでは防御率1点台前半の好成績を残し、9月24日にはプロ16年目にして初のセーブを記録している。10月6日…

読売ジャイアンツの監督「長嶋茂雄」のプロフィール

第1次巨人監督時代1974年11月21日、巨人の第9代監督に就任した長嶋は、「クリーン・ベースボール」を標榜した。川上が築き上げた確率野球(自らの失策を減らし、相手の失策を誘い、そこにつけこんで勝利するスタイル)を捨て、投、打の力量差がそのまま勝敗…

読売ジャイアンツの監督「川上哲治」のプロフィール

現役時代より、その卓越したバッティング技術から「打撃の神様」の異名を取り、戦時中から戦後におけるプロ野球界の大スターとして活躍。終戦直後は「赤バット」を使用してこれが彼のトレードマークとなり、「青バット」を使用した大下弘と共に鮮烈な印象を…

読売ジャイアンツの第73代4番打者「小笠原道大」のプロフィール

2007年9月15日には史上4番目の速さで通算1500本安打を達成。最終的には3割30本を達成。前年に続いての2年連続MVPを獲得。なおセ・パ両リーグでのMVP受賞は江夏豊以来2人目であり、野手としては史上初。さらにリーグを跨いでの2年連続獲得も史上初である。 20…

読売ジャイアンツの第69代4番打者「小久保裕紀」のプロフィール

2004年、3番・三塁手で阪神との開幕戦に出場すると、翌試合に福原忍から東京ドームのライトスタンド中段へ移籍後初安打・初本塁打を記録。5月には負担の少ないすり足打法から元の一本足打法に戻すと、本塁打を量産。前半戦最後の3連戦で4本塁打を放つなど活…

読売ジャイアンツの第66代4番打者「高橋由伸」のプロフィール

1998年プロ1年目での打率3割(規定打席到達)は史上7人目、セ・リーグでは長嶋茂雄以来40年ぶり。さらに新人での満塁本塁打3本は史上初だった。 1999年 開幕戦から3試合連続本塁打を放ち、4月には打率.433、8本塁打、29打点を記録し月間MVPを獲得。 2000年9…

読売ジャイアンツの第64代4番打者「清原和博」のプロフィール

1996年にFA宣言。巨人監督・長嶋茂雄の「僕の胸に飛び込んできなさい」という口説き文句が話題となった。5年契約で念願の巨人に移籍した。 1997年は開幕3試合目に移籍第一号となる本塁打を放って、西武時代の終盤と遜色ない成績を残す。 1998年は原辰徳の12…

読売ジャイアンツの第62代4番打者「松井秀喜」のプロフィール

巨人時代は、日本球界を代表する長距離打者で、10年間で332本塁打を放った。高校卒業から10シーズンでの本塁打数は、王貞治の356本に次ぐ歴代2位で、300本以上打った打者は王と松井の2人だけである。OPSでも、通算4000打数以上の選手では王貞治に次いで歴代2…

読売ジャイアンツの第60代4番打者「落合博満」のプロフィール

落合が在籍した94年~96年の3年間、長嶋茂雄が率いるチームの2度(1994年、1996年)のリーグ優勝に4番打者として貢献した。94年の優勝決定戦(10.8決戦)で足の内転筋を痛めて以降、落合は重要な下半身からじっくりとリハビリやトレーニングで磨きをかけた。…

読売ジャイアンツの第25代4番打者「長嶋茂雄」のプロフィール

1958年4月5日、対国鉄スワローズ戦に、3番サードで先発出場してデビュー。国鉄のエース金田正一に4打席連続三振を喫し、そのすべてが渾身のフルスイングによる三振であったことが伝説的に語り継がれている。 長嶋の最終的な対金田通算対戦成績は、打率.313、…