読売ジャイアンツの第32代4番打者「吉田勝豊」のプロフィール
1956年の都市対抗に井洋雄投手を擁し四番打者として出場。1回戦で本塁打を放ち富士鉄室蘭を降すが、2回戦で日本コロムビアに9回サヨナラ負け。日鉄二瀬のチームメートには古葉竹識、江藤慎一らがいた。
1957年に東映フライヤーズに入団、1年目から左翼手として100試合以上に出場する。その後は中堅手、一塁手もこなし、1961年にはリーグ8位となる打率.298をマーク。翌1962年には打率.306で初の打率3割に到達し、外野手としてベストナインも受賞した。
1965年に安藤元博・石原碩夫とともに、池沢義行・山崎正之・坂崎一彦との交換トレードで、読売ジャイアンツに移籍。1年目はレギュラー中堅手として五番あるいは六番打者を任される。3度目のオールスターゲームにも出場した。翌1966年からは柴田勲の台頭もあって出場機会が漸減。
1968年に益田昭雄とともに、井上善夫との交換トレードで西鉄ライオンズに移籍。
1969年に現役引退。
引退後は1973年から1978年までロッテオリオンズでコーチを務めた。
wikipedia内『吉田勝豊』より引用
オールスターにも3回出場し、通算1000試合出場:1965年5月19日(94人目)の記録もしている素晴らしい選手ですね
「4番での通算成績」
①初試合
1965.10.22 対広島28回戦
②試合数
1
③打数
4
④安打
1
⑤本塁打
0
⑥打点
0
⑦打率
.250