読売ジャイアンツの第47代4番打者「松原誠」のプロフィール
1962年、大洋ホエールズに捕手として入団。しかし捕手としての能力に限界を感じ、1963年に一塁手へ転向する。
1970年に30本塁打を放ち、同年から8年連続20本塁打以上を記録し長打力のあるスラッガーとして、低迷していたチームの四番として活躍。
1972年にロッテから移籍してきた江藤愼一を参考に打撃を改良し、1974年には初めて打率3割をマーク。打撃タイトルには縁がなかったが、長きにわたりチームリーダーとして選手を率いる。1980年には通算2000本安打達成。
日本プロ野球選手会を社団法人化させ、選手会長として選手の先陣に立ち球団と幾度と無く議論を重ねてきた。1981年に古賀正明との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍。この際、「巨人に移籍しても嬉しくない、大洋で優勝するのが目標だった」と会見で涙した。同年、巨人で自身初、唯一のリーグ優勝、日本シリーズ優勝を経験した。日本ハムとの日本シリーズの第1戦では9回裏に代打で登場し、抑えの切り札である江夏豊より生涯最後の本塁打を放った。同年限りで現役を引退。
wikipedia内『松原誠』より引用
タイトルには無縁でしたが通算300本塁打、2,000本安打している素晴らしい選手でした。
「4番での通算成績」
①初試合
1981.10.5 対ヤクルト26回戦
②試合数
1
③打数
2
④安打
0
⑤本塁打
0
⑥打点
0
⑦打率
.000