読売ジャイアンツの第55代4番打者「フィル・ブラッドリー」のプロフィール
メジャーリーグに入った後はシアトル・マリナーズを中心に活躍。イチローに更新されるまではマリナーズの新人最高打率と最多盗塁記録も持っていた。また1988年と1990年にはリーグ最多死球を記録した。
前年に退団したウォーレン・クロマティに代わり1991年に巨人の助っ人として入団。年俸は150万ドル(推定、当時のレートで約2億400万円)だった。開幕戦でいきなり初打席初本塁打を放ち、開幕以来14試合連続セーブの日本記録を更新中であった大野豊から逆転サヨナラホームランを放つなど、打率.282、21本塁打、70打点の成績を残す。また、守備・走塁もクロマティ以上の実力を見せていたが、暗い性格で上記のサヨナラホームランの際もヒーローインタビューも拒否するなどチームになじめず1年で退団する。また日本でもリーグ最多死球を記録し、同年4月14日の広島戦で最後の登板となった津田恒実から死球を受けている。
1992年、大リーグ復帰を目指してモントリオール・エクスポズと契約したが出場は無かった。
wikipedia内『フィル・ブラッドリー』より引用
初打席・初安打・初本塁打・初打点:同上、1回裏に小松辰雄から2ラン を打ち、史上29人目の初打席初本塁打の記録を残してます。
「4番での通算成績」
①初試合
1991.4.29 対大洋6回戦
②試合数
3
③打数
12
④安打
0
⑤本塁打
0
⑥打点
0
⑦打率
.000