読売ジャイアンツの第58代4番打者「岡崎郁」のプロフィール
1979年にドラフト3位で巨人に指名され、長嶋茂雄監督の説得により入団。河埜和正、篠塚利夫、中畑清、原辰徳などがいたため出場機会に恵まれなかった。
1987年には、失策2で守備率.994と遊撃手としてのシーズン守備率の日本記録(当時)を打ち立てるなど、レギュラークラスの働きを見せるも、規定打席到達は果たせないでいた。しかし入団10年目の1989年、当時の監督藤田元司に勝負強いバッティングを見出され、キャンプではサードを中心にファーストもこなすなど、コンバートがなされた。オープン戦で首位打者を獲得し、開幕戦はファーストでスタメン出場。1992年までは、サードのレギュラーポジションを守った。親友・駒田徳広との「恐怖の6・7番コンビ」は、第2のクリーンナップとして他球団から恐れられ、1989年の日本一、1990年のリーグ優勝に貢献した。1989年からオールスターゲーム・4年連続セ・リーグ三塁手部門ファン投票選出、日本シリーズでは1989年優秀選手、1990年敢闘賞。翌年からは選手会長・主将も務めた。1993年には4番打者も務めた。
1996年に現役引退
岡崎選手の4番の試合を東京ドームで観戦したのを今でも覚えていますね。
「4番での通算成績」
①初試合
1993.8.11 対ヤクルト20回戦
②試合数
3
③打数
12
④安打
3
⑤本塁打
0
⑥打点
1
⑦打率
.250