読売ジャイアンツの第48代4番打者「原辰徳」のプロフィール
1981年、開幕戦に6番・二塁手で先発出場。牛島和彦から初安打、翌日には小松辰雄からプロ初本塁打を放った。22本塁打を放ち新人王を獲得。
1983年は初めて打率3割を記録。打点王、最多勝利打点を獲得して巨人の優勝に貢献し、MVPに選ばれた。巨人での3割30本塁打100打点の記録達成は、青田昇、長嶋茂雄、王貞治に次ぐ球団史上4人目の快挙だった。
1992年、入団以来12年連続20本塁打の日本記録更新しこの年のオフ、駒田、斎藤雅樹とともに、歴代の巨人の日本人選手として初めての1億円プレーヤーとなった。
1993年5月2日に4番出場が1000試合に到達した。
1994年、入団以来14年連続二桁本塁打を達成。チームは10.8決戦を制して4年ぶりにリーグ優勝を果たし、日本シリーズで原は欠場の落合に代わり四番・一塁手で出場。球団創立60周年での日本一達成に貢献した。
1995年に現役引退。
引退セレモニーでは「巨人軍の4番打者には何人も侵すことが出来ない聖域がある」と、苦しかった胸のうちを語り、「今日、私の夢は終わります。しかし私の夢には続きがあります」との言葉は忘れられません。
「4番での通算成績」
①初試合
1982.6.4 対広島10回戦
②試合数
1066
③打数
3940
④安打
1099
⑤本塁打
255
⑥打点
729
⑦打率
.279