なんちゃって村田のジャイアンツ blog

ジャイアンツ、試合結果、選手プロフィール

歴代監督

高橋由伸  新監督誕生

18年間の現役生活お疲れ様でした。 あなたの300号ホームランを現地で見れたのを誇りに思います。 一番若い監督ですが由伸ジャイアンツを応援していきますので僕らを 喜ばせて下さいね。 【巨人】由伸、新監督誕生!次期監督就任受諾 巨人は23日、高橋…

読売ジャイアンツの監督「堀内恒夫」のプロフィール

2004年度 一番から仁志敏久、清水隆行、ローズ、高橋由伸、小久保、ペタジーニ、阿部慎之助、二岡智宏と続く「史上最強打線」はプロ野球記録のチーム259本塁打を記録し、究極の形となる。しかし、投手陣の不調を補って前半戦こそ優勝を争ったものの次第に超…

読売ジャイアンツの監督「王貞治」のプロフィール

1984年、第11代監督就任。しかし、前年リーグ優勝したチームを受け継ぎながら3年間優勝から遠ざかり、監督としての資質に疑問を呈する声がファンや評論家からあがる。 監督就任4年目、中日との開幕戦での西本聖の完封勝利で1987年のシーズンが幕を開ける。ま…

読売ジャイアンツの監督「藤田元司」のプロフィール

「指導者として優れた人心掌握術・育成術を持っており、日本海軍連合艦隊司令長官であった山本五十六の「やってみせ、言ってきかせて、させてみて、誉めてやらねば人は動かじ」を座右の銘にしていた。「誰だって怒られるよりは褒められた方が嬉しい。選手だ…

読売ジャイアンツの監督「長嶋茂雄」のプロフィール

第1次巨人監督時代1974年11月21日、巨人の第9代監督に就任した長嶋は、「クリーン・ベースボール」を標榜した。川上が築き上げた確率野球(自らの失策を減らし、相手の失策を誘い、そこにつけこんで勝利するスタイル)を捨て、投、打の力量差がそのまま勝敗…

読売ジャイアンツの監督「原辰徳」のプロフィール

第一次監督時代2001年シーズンオフ、勇退した長嶋の後任として第14代巨人監督に就任。背番号は83。 2002年は、引退も考えていた桑田真澄の先発復帰、故障で一軍から離脱していた河原純一の抑え転向、清水隆行の1番起用など大胆な選手起用を行い、就任1年目に…

読売ジャイアンツの監督「川上哲治」のプロフィール

現役時代より、その卓越したバッティング技術から「打撃の神様」の異名を取り、戦時中から戦後におけるプロ野球界の大スターとして活躍。終戦直後は「赤バット」を使用してこれが彼のトレードマークとなり、「青バット」を使用した大下弘と共に鮮烈な印象を…

読売ジャイアンツの監督「水原茂(円裕)」のプロフィール

1950年から第7代監督に就任した。選手兼任監督だった1950年は3位に終わるが、1951年から1953年までリーグ3連覇・日本一。巨人の「第二期黄金時代」を築いた。選手には与那嶺要、川上哲治、千葉茂、広田順、別所毅彦ら名選手が揃っていた。1955年は再び独走で…

読売ジャイアンツの監督「三原脩」のプロフィール

1947年シーズン途中の6月3日には、球団が成績不振に悩まされていたため、監督に就任することを球団側と合意、同6月6日、大学の後輩である監督の中島治康に配慮し、助監督・技術顧問へ就任した。9月には総監督へ就任し、実質的に指揮権を握った。 翌1948年は…

読売ジャイアンツの監督「藤本英雄」のプロフィール

1942年秋に明治大学を卒業 し、同年シーズン中の東京巨人軍に入団。明大時代に通算34勝を挙げて優勝投手にもなった六大学随一の豪速球投手のプロ入りで、当時主将の水原茂が応召された直後ということもあり、9月27日の初登板の際には読売新聞に先発予告が掲…

読売ジャイアンツの監督「中島治康」のプロフィール

1936年のリーグ戦開始時から巨人でプレーし、強打・強肩の外野手として活躍。1938年秋季には打率.361、本塁打10、打点38でプロ野球史上初の三冠王となった。当時は三冠王という概念はなく、1965年に野村克也が三冠王と獲った時に1938年の記録をどう扱うか問…

読売ジャイアンツの初代監督「藤本定義」のプロフィール

東京鉄道局野球部(現:JR東日本)の監督。1935年、第1回アメリカ遠征から帰国した東京巨人軍との巡業試合で2勝をあげる。この時の巡業で巨人は36勝3敗であり、その3敗のうち2敗を喫させた手腕を見込まれ巨人監督に招聘される。 1936年6月16日に第2回アメリ…