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ジャイアンツ、試合結果、選手プロフィール

読売ジャイアンツの監督「藤本英雄」のプロフィール

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1942年秋に明治大学を卒業 し、同年シーズン中の東京巨人軍に入団。明大時代に通算34勝を挙げて優勝投手にもなった六大学随一の豪速球投手のプロ入りで、当時主将の水原茂が応召された直後ということもあり、9月27日の初登板の際には読売新聞に先発予告が掲載されるなど大々的に宣伝され、当時の巨人主催試合の動員新記録(16,942名)を作った。初年度に無傷で10連勝する。


2年目には34勝、防御率0.73、奪三振253で最多勝最優秀防御率最多奪三振を受賞し、投手三冠を達成。同時に勝率.756で最高勝率を受賞し、完封19もリーグ1位で投手五冠を達成している。この年の防御率0.73、シーズン19完封は現在も日本記録として残っている。同年5月22日の対名古屋軍戦(後楽園球場)でノーヒットノーランを達成。1944年は投手で3番を打ち、監督も兼任。人員不足の戦中にあってチームを支えた。25歳での監督就任は日本プロ野球史上最年少記録である。
1946年途中まで監督を兼任し、同年シーズン中に中島治康が兼任監督として巨人に復帰したのを受けて選手専任に戻る。

wikipedia内『藤本英雄』より引用

 

ピッチャーとして素晴らしい結果も残している監督ですね。

「通算成績」

①就任年数


 1944年、1946年

 

②試合数

 

 60

 

③勝敗数

 

 34勝23敗3分

 

④勝率

 

 .596

 

⑤優勝回数

 

 0

 

⑥日本一回数