読売ジャイアンツの監督「王貞治」のプロフィール
1984年、第11代監督就任。しかし、前年リーグ優勝したチームを受け継ぎながら3年間優勝から遠ざかり、監督としての資質に疑問を呈する声がファンや評論家からあがる。
監督就任4年目、中日との開幕戦での西本聖の完封勝利で1987年のシーズンが幕を開ける。またウォーレン・クロマティを4番に据え、抑えに回った鹿取義隆と、2年目19歳のエース桑田真澄、復活した江川卓を軸に若手投手陣は躍動する。攻撃面も打撃ベスト10に篠塚利夫、吉村禎章、中畑清、復帰した原とクロマティの5人が3割を記録した強力打線であったため、終わってみれば独走でのリーグ優勝であった。
1988年 (ちなみに東京ドームがオープンした年) はクロマティ・吉村・前年MVPの山倉などのケガによるリタイア、江川卓の引退からくる投手陣の衰えから優勝した中日に12ゲーム差をつけられ2位に終わる。監督業5年間で、リーグ優勝1回を含むAクラスを保持したもののフロントから責任を問われる形で辞任 (事実上の解任) した。
wikipedia内『王貞治』より引用
その後ホークスの監督となり結果を残してますので出来ればもう一度ジャイアンツのユニフォーム来て仕切って欲しかったですね。
「通算成績」
①就任年数
1984年~1988年
②試合数
650
③勝敗数
347勝264敗39分
④勝率
.568
⑤優勝回数
1
⑥日本一回数
0