読売ジャイアンツの第36代4番打者「柴田勲」のプロフィール
1962年に読売ジャイアンツに入団。投手成績は芳しくなく0勝2敗で「投手失格」の烙印を押される。そして野手に転向し左打ちに取り組み、スイッチヒッターとなる。
翌1963年にレギュラー獲得。以後は主に1番打者として活躍した。1968年には首脳陣の意向で、打線のアキレス腱であった5番打者への定着を図るため、長打力のある右打に特化する。この年26本の本塁打を放つが三振が急増、盗塁王のタイトルも失う。
赤い手袋をトレードマークに盗塁王6回(1978年に34歳で開幕迎えたシーズンの同獲得は現在もセ・リーグ記録)。自己最高は1967年の70盗塁。通算盗塁数579は現在もリーグ1位。また通算で194本塁打を放っている。
1969年7月3日の対阪神戦では、相手投手江夏豊への苦手意識を払拭する「刺激療法」として、1試合のみ「3番・長嶋茂雄、4番・柴田、5番・王貞治」というクリーンナップで4番打者に抜擢され、見事に本塁打を放っている。王・長嶋の現役時代において、この二人がともに先発出場しながらそれを抑えて4番を務めたのは、柴田ただ一人である。
巨人の生え抜き選手で巨人在籍時に2000本安打を達成した最後の選手であり素晴らしい記録をいくつも残しています。
「4番での通算成績」
①初試合
1969.7.3 対阪神10回戦
②試合数
1
③打数
3
④安打
1
⑤本塁打
1
⑥打点
2
⑦打率
.333