なんちゃって村田のジャイアンツ blog

ジャイアンツ、試合結果、選手プロフィール

読売ジャイアンツの第37代4番打者「末次利光」のプロフィール

f:id:takajinking9:20150323100326j:plain

1965年に読売ジャイアンツ(以下、巨人、巨人軍)に入団。1966年から一軍に定着するが、外野手層の厚い巨人では準レギュラーが長かった。しかし1969年には右翼手の定位置を獲得し、1970年には規定打席(25位、打率.249)に達する。川上哲治が監督として率いるV9時代に、長嶋茂雄王貞治と共に5番打者としてクリーンナップを形成した。1971年には日本シリーズMVP、1974年にはリーグ4位の打率.316を残し、ベストナインにも選ばれている。しかし1977年、オープン戦前の練習で同僚の柳田真宏外野手の打球を左目に受け、その後遺症で視界が狭くなってしまい、同年のシーズン終了後に現役を引退。
無骨な性格で表情が少なく、華やかなスターが揃っていた当時の巨人軍の中にあっては、極めて異色の目立たない存在であった。

wikipedia内『末次利光』より引用

 

現役引退後は、二軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、二軍監督を務めた。巨人に在籍していた呂明賜も、「末次さんの教え方は最高にうまい」と語っている。スカウト時代には阿部慎之助木佐貫洋亀井義行など後の主力級の選手の獲得に貢献しており選手・コーチ・スカウトとしても素晴らしい結果を残しています。

 

「4番での通算成績」

①初試合


 1970.6.2 対中日4回戦

 

②試合数

 

 15

 

③打数

 

 59

 

④安打

 

 11

 

本塁打

 

 3

 

⑥打点

 

 

 

⑦打率

 

 .186