読売ジャイアンツの第37代4番打者「末次利光」のプロフィール
1965年に読売ジャイアンツ(以下、巨人、巨人軍)に入団。1966年から一軍に定着するが、外野手層の厚い巨人では準レギュラーが長かった。しかし1969年には右翼手の定位置を獲得し、1970年には規定打席(25位、打率.249)に達する。川上哲治が監督として率いるV9時代に、長嶋茂雄、王貞治と共に5番打者としてクリーンナップを形成した。1971年には日本シリーズMVP、1974年にはリーグ4位の打率.316を残し、ベストナインにも選ばれている。しかし1977年、オープン戦前の練習で同僚の柳田真宏外野手の打球を左目に受け、その後遺症で視界が狭くなってしまい、同年のシーズン終了後に現役を引退。
無骨な性格で表情が少なく、華やかなスターが揃っていた当時の巨人軍の中にあっては、極めて異色の目立たない存在であった。
現役引退後は、二軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、二軍監督を務めた。巨人に在籍していた呂明賜も、「末次さんの教え方は最高にうまい」と語っている。スカウト時代には阿部慎之助、木佐貫洋、亀井義行など後の主力級の選手の獲得に貢献しており選手・コーチ・スカウトとしても素晴らしい結果を残しています。
「4番での通算成績」
①初試合
1970.6.2 対中日4回戦
②試合数
15
③打数
59
④安打
11
⑤本塁打
3
⑥打点
6
⑦打率
.186