読売ジャイアンツの第38代4番打者「柳田真宏」のプロフィール
1968年オフに田中久寿男との交換トレードで読売ジャイアンツ(巨人)に移籍し、V9時代後期の巨人で代打の切り札としてチームを支えた。
1977年に登録名を柳田 真宏に改名。同年はプロ入り11年目にして初の規定打席数に到達し、打率3割4分、本塁打21本の好成績を残し大ブレイク。「巨人史上最強の5番打者」と呼ばれた。同年はオールスターゲームに選出されたが辞退している。 横浜スタジアムの開場第1号ホームランを打った打者でもある。
1979年オフに永本裕章との交換トレードで笠間雄二と共に阪急ブレーブスに移籍するが、1980年オフに再び永本とのトレードで巨人に復帰し、代打の切り札として活躍。登録名を本名の柳田 俊郎に戻した1982年限りで現役引退。
引退翌年の1983年、現役時代に登録名として使用した柳田 真宏の名義で演歌歌手デビュー。1984年に暴露本「パンツを脱いだ巨人軍」を出版した。現在は歌手活動の傍ら八王子市で「カラオケスナックまむし36」を経営している
wikipedia内『柳田真宏』より引用
「マムシ」と言うニックネームで、熱狂的な巨人ファンとして知られる毒蝮三太夫に顔が似ていたことから由来しており愛された選手でした。
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「4番での通算成績」
①初試合
1974.9.6 対広島22回戦
②試合数
1
③打数
1
④安打
1
⑤本塁打
0
⑥打点
0
⑦打率
1.000