読売ジャイアンツの第35代4番打者「森永勝也」のプロフィール
1958年に広島に入団し、1年目から中軸バッターとして活躍する。1962年には.307という2リーグ分裂後の最低打率で球団史上初の首位打者に輝いた。
1967年に宮本洋二郎との交換トレードで巨人に移籍。巨人では代打の切り札として活躍。この年、不振だった長嶋茂雄に入団以来初の代打が送られたが、その時の代打は森永であり、右前ヒットを放った。
1970年に引退。
引退後は打撃コーチとして広島に復帰し、1972年にはシーズン途中に辞任した根本陸夫監督の代理を務めた。1973年には二軍監督を務め、1974年からは監督に昇格。しかし、最下位に終わり、わずか1年で辞任した。寡黙で内に秘めるタイプで、チームの先輩である長谷川良平ヘッドコーチと自身が招聘したジョー・ルーツ打撃コーチの確執を抑えきれなかったことも理由の一つと言われる。
1993年12月7日、肺がんのため死去。享年59。
テレビ新広島や日刊スポーツで野球解説者を長く務め、初期の『プロ野球ニュース』でも主に神田康秋アナウンサーとのコンビで広島の試合の解説を担当してました。
「4番での通算成績」
①初試合
1967.10.16 対大洋28回戦
②試合数
1
③打数
3
④安打
0
⑤本塁打
0
⑥打点
0
⑦打率
.000