1955年に投手として西鉄ライオンズへ入団。翌年に野手へ転向する。 1961年からは右翼手、三番打者に定着して西鉄打線を支える。強肩で長打力もあり、中西太が故障し、豊田泰光がチームを離れた後の中心打者と目された。 1966年に船田和英とのトレードで読売…
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