読売ジャイアンツの第33代4番打者「田中久寿男」のプロフィール
1955年に投手として西鉄ライオンズへ入団。翌年に野手へ転向する。
1961年からは右翼手、三番打者に定着して西鉄打線を支える。強肩で長打力もあり、中西太が故障し、豊田泰光がチームを離れた後の中心打者と目された。
1966年に船田和英とのトレードで読売ジャイアンツへ移籍する。
長嶋、王に続く五番打者への定着が期待され、翌1967年には、巨人の第33代4番打者として2試合出場した。
1967年の8月19日中日ドラゴンズ戦では1対1の同点で迎えた9回裏、満塁で田中と勝負したが、田中は小川健太郎からサヨナラ満塁本塁打を放ち、巨人が勝利している。
1969年に柳田俊郎との交換トレードで西鉄へ復帰し、同年に引退。
その後は西鉄・太平洋で1974年までコーチをつとめた。1976年ロッテオリオンズでコーチをつとめ、1977年より、スカウトとして活躍し、1995年ロッテのチーフスカウトに就任。2000年退団。2001年2月24日に肝硬変のため死去。
2試合だけですが巨人軍の4番を努め、オールスターにも1回出場し、通算1000試合出場 1967年8月7日(127人目)している素晴らしい選手です。
「4番での通算成績」
①初試合
1967.9.9 対阪神23回戦
②試合数
2
③打数
9
④安打
3
⑤本塁打
0
⑥打点
0
⑦打率
.333