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ジャイアンツ、試合結果、選手プロフィール

読売ジャイアンツの第29代4番打者「池沢義行」のプロフィール

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1962年(昭和37年)に読売ジャイアンツへ入団。
1年目から公式戦に出場、2年目にはレギュラー外野手として113試合に出場した。この年(1963年)は1試合だけだが、4番も経験している。
1963年(昭和38年)8月11日の阪神タイガース戦では、リリーフで登板した村山実が審判(国友正一)のボール判定に抗議し、涙を浮かべながら退場する場面があったが(「どこ見てるんや! わしは一球一球、命かけて投げてるんや」と。)この時に打席に立っていた打者が池沢である。

ちなみに池沢は前日の試合でも、7回までノーヒットピッチングだった村山から8回にヒットを放っている。
1964年(昭和39年)は7月9日の対阪神戦で太田紘一から右肘に死球を受け、打撃不振に陥った。
1965年(昭和40年)には、吉田勝豊・安藤元博らとの交換トレードで坂崎一彦・山崎正之と共に東映フライヤーズへ移籍したが不本意な成績に終わり、オフに戦力外通告を受けた。そして1966年(昭和41年)、テストでジャイアンツへ復帰。だが余り活躍できず、同年オフに引退した。

wikipedia内『池沢義行』より引用

 

1試合だけでも4番でスタメン出場しているのですから素晴らしいですね。

「4番での通算成績」

①初試合


 1963.6.26 対広島13回戦

 

②試合数

 

 1

 

③打数

 

 2

 

④安打

 

 0

 

本塁打

 

 0

 

⑥打点

 

 

 

⑦打率

 

 .000