読売ジャイアンツの第43代4番打者「山本 功児」のプロフィール
1975年のドラフト5位で読売ジャイアンツに入団した。
当時のチームは一塁手に王貞治を擁し、王の控えであった(1979年から1980年にかけ7試合4番打者を務めている)。王の引退後も中畑清・原辰徳の控えに回り出場機会にあまり恵まれず、1984年、三宅宗源とのトレードによりロッテオリオンズに移籍、レギュラーとして初めて規定打席に到達し、打率.301を記録。同年から2年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。コーチ兼任となった1988年に現役を引退。
引退後は1989年~1993年までロッテ一軍打撃コーチ、1994年は二軍打撃コーチ、1995年~1996年まで再び一軍打撃コーチ、1997年から1998年まで二軍監督を経て、1999年から2003年までロッテ監督に就任。
2004年にチームの先輩である堀内恒夫 新監督の要請で、古巣・巨人の二軍ヘッド兼打撃コーチに就任。翌2005年からは一軍ヘッドコーチとなるが、チームの不振で堀内は辞任、山本も同年限りで退団した。
wikipedia内『山本 功児』より引用
2012年10月から12月まで東京スポーツ紙上で「山本功児 なんとなく幸せ」と題して半生を振り返るコラムを連載しています。
「4番での通算成績」
①初試合
1979.7.8 対阪神17回戦
②試合数
7
③打数
29
④安打
11
⑤本塁打
2
⑥打点
6
⑦打率
.379