なんちゃって村田のジャイアンツ blog

ジャイアンツ、試合結果、選手プロフィール

読売ジャイアンツの第42代4番打者「ジョン・シピン」のプロフィール

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1972年に大洋に入団し、常に3割を狙える安定した打撃を売りにクリーンナップの一角として活躍。二塁手として1972年・1973年にダイヤモンドグラブ賞を受賞。1970年代のプロ野球を代表する二塁手となった。その長髪といかつい髭から、当時の特撮番組「快傑ライオン丸」にちなんで「ライオン丸」の愛称で親しまれ、球団が川崎を去る1977年まで在籍。
1978年に金銭トレードで巨人に移籍。移籍の際にトレードマークとなっていた長髪と髭をばっさり切った。入団1年目は二塁手土井正三がいたため、右翼手との掛け持ちだった。巨人の第42代4番打者にもなっている。契約は1981年まで残っていたが、腰痛(これが原因で守備力が落ち、大洋からの放出につながった)に加えて若手育成のチーム方針から1980年、1000万円の功労金を受け取りシーズン途中で円満退団した。

wikipedia内『ジョン・シピン』より引用

 

漫画「がんばれ!!タブチくん!!」では、ヤスダから「さすがジャイアンツじゃのう。シビンを持って試合かあー。」と突っ込みを入れられたことがある愛嬌ある選手でした。

 

「4番での通算成績」

①初試合


 1978.6.14 対阪神12回戦

 

②試合数

 

 52

 

③打数

 

 192

 

④安打

 

 61

 

本塁打

 

 12

 

⑥打点

 

 38

 

⑦打率

 

 .318