読売ジャイアンツの第41代4番打者「デーブ・ジョンソン」のプロフィール
1975年4月18日に監督就任1年目の長嶋茂雄が「クリーン・ベースボール」をスローガンに掲げる読売ジャイアンツに入団することが決定し、20日午後8時23分に日航機で羽田空港に来日して、22日ナゴヤ球場での中日戦から黒江透修の残した背番号5をつけて34インチ(86.36cm)33オンス(935.44グラム)のバットとブルックス・ロビンソンから譲り受けたグラブでプレイし、球団史上唯一度の最下位を経験した。
本来の二塁手に戻った翌1976年は日本野球にも慣れ、古傷の膝痛や開幕直後の4月7日後楽園球場で平松政次から受けた死球で悪化した右手親指痛を抱え、6月9日に一時帰国して故障の治療をしながらも108試合に出場し、打率.275、打点74、チーム2位の26本塁打を放ってベストナイン・ダイヤモンドグラブ賞を獲得するほどの活躍で長嶋巨人の初優勝に貢献した。なお、26号ソロ本塁打は10月16日広島市民球場でのシーズン最終戦で高橋里志のド真ん中の棒球を捉えた優勝決定弾であった。
引退後はニューヨークメッツの監督を努めワールドシリーズ優勝に導いいており監督としても結果を残しています。
「4番での通算成績」
①初試合
1976.9.1 対大洋22回戦
②試合数
4
③打数
13
④安打
2
⑤本塁打
1
⑥打点
2
⑦打率
.154