なんちゃって村田のジャイアンツ blog

ジャイアンツ、試合結果、選手プロフィール

読売ジャイアンツの第53代4番打者「吉村禎章」のプロフィール

f:id:takajinking9:20150323103405j:plain

1982年、ドラフト3位で読売ジャイアンツに入団。高いバッティングセンスと身体能力を武器に2年目の1983年に84試合の出場を果たし、規定打席未到達ながら打率3割2分6厘の好成績を挙げる。

 

1988年7月6日の対中日ドラゴンズ戦(札幌市円山球場)では、3回に通算100号本塁打を記録した。ところが、8回の左翼手としての守備で中尾孝義の放った飛球を捕球した際、この回から中堅手の守備に入った栄村忠広と激突。左膝の4本の靱帯のうち3本が完全に断裂し、さらに神経まで損傷するという、主治医曰く「交通事故レベル」という大怪我を負った。

けがによって、中長距離ヒッターにとってオーソドックスな軸足(左脚=けがをした脚)に体重を乗せる打ち方が不可能になり、リハビリを通じて前脚(右脚)を軸に回転する打ち方に取り組むことになったが、以後の数字は吉村がその非凡なセンスでそのイレギュラーな打ち方で中長距離ヒッターとして復帰したことを物語っている。

 

1998年シーズンには長嶋茂雄監督から第16代キャプテンに指名された。同年限りで現役を引退。

wikipedia内『吉村禎章』より引用

 

未だにあの事故さえなければ素晴らしい4番打者になっていたのは間違いなかったはずです。 

 

「4番での通算成績」

①初試合


 1990.7.30 対阪神19回戦

 

②試合数

 

 32

 

③打数

 

 114

 

④安打

 

 30

 

本塁打

 

 3

 

⑥打点

 

 21

 

⑦打率

 

 .263