読売ジャイアンツの第53代4番打者「吉村禎章」のプロフィール
1982年、ドラフト3位で読売ジャイアンツに入団。高いバッティングセンスと身体能力を武器に2年目の1983年に84試合の出場を果たし、規定打席未到達ながら打率3割2分6厘の好成績を挙げる。
1988年7月6日の対中日ドラゴンズ戦(札幌市円山球場)では、3回に通算100号本塁打を記録した。ところが、8回の左翼手としての守備で中尾孝義の放った飛球を捕球した際、この回から中堅手の守備に入った栄村忠広と激突。左膝の4本の靱帯のうち3本が完全に断裂し、さらに神経まで損傷するという、主治医曰く「交通事故レベル」という大怪我を負った。
けがによって、中長距離ヒッターにとってオーソドックスな軸足(左脚=けがをした脚)に体重を乗せる打ち方が不可能になり、リハビリを通じて前脚(右脚)を軸に回転する打ち方に取り組むことになったが、以後の数字は吉村がその非凡なセンスでそのイレギュラーな打ち方で中長距離ヒッターとして復帰したことを物語っている。
1998年シーズンには長嶋茂雄監督から第16代キャプテンに指名された。同年限りで現役を引退。
未だにあの事故さえなければ素晴らしい4番打者になっていたのは間違いなかったはずです。
「4番での通算成績」
①初試合
1990.7.30 対阪神19回戦
②試合数
32
③打数
114
④安打
30
⑤本塁打
3
⑥打点
21
⑦打率
.263