読売ジャイアンツの第57代4番打者「ジェシー・バーフィールド」のプロフィール
ニューヨークヤンキース時代は1990年4月26日のシアトル・マリナーズ戦で、4回にランディ・ジョンソンから左中間へフェンスオーバーの大飛球を放ち、通算200本塁打達成かと思われたが、ケン・グリフィー・ジュニアのスーパーキャッチに阻まれた。しかし次の打席で本塁打を放ち記録を達成した。同年は25本塁打を記録したが、以降は故障もあって成績は下降。1992年オフにフリーエージェントとなり、一度は引退を余儀なくされる。
1993年、メジャー通算241本塁打の実績を引っ提げて読売ジャイアンツに入団。かつての同僚モスビーと再びチームメイトとなる。しかし右手首の手術直後であり、また変化球が苦手という弱点を執拗に突かれ、チームトップの26本塁打・53打点を記録するものの、打率.215・127三振に終わり、1年で退団。当時ヤクルトスワローズ監督の野村克也がその強肩と長打力を高く評価して獲得に動き、一旦入団が内定したが、メジャー球団との二重契約問題が発生したため断念した。
wikipedia内『ジェシー・バーフィールド』より引用
長打力がありましたが三振が多い荒々しい選手のイメージが強い選手でしたね。
「4番での通算成績」
①初試合
1993.4.23 対阪神1回戦
②試合数
22
③打数
74
④安打
15
⑤本塁打
4
⑥打点
8
⑦打率
.203