読売ジャイアンツの第61代4番打者「広澤 克実」のプロフィール
1994年オフにFA宣言し、読売ジャイアンツに移籍。本職は一塁手だが、巨人では落合博満、清原和博と重なり外野を守ることが多くなった。3年目に左翼手から右翼手へコンバートする。移籍初年度の1995年は、開幕から極度の不振も、連続試合出場のため全試合出場した。しかし、1996年のオープン戦で死球を受けて骨折したため、開幕に間に合わず、連続試合出場は止まった。この年は、回復後も試合の出場機会が少なく、日本シリーズでもベンチ入りできなかったため、自由契約を希望したが、フロントに説得される。1997年9月26日の対中日ドラゴンズ戦でサイクル安打を達成。1999年4月29日の対ヤクルト戦(大阪ドーム)で川崎憲次郎から中前安打を記録、二塁への盗塁を試みて右肩を脱臼。これがきっかけでシーズンを棒に振ってしまった。
wikipedia内原『広澤 克実』より引用
打点王:2回 (1991年、1993年)、最多勝利打点:2回 (1990年、1992年)を記録しており素晴らしい選手でした。
「4番での通算成績」
①初試合
1995.5.3 対阪神5回戦
②試合数
56
③打数
204
④安打
56
⑤本塁打
13
⑥打点
38
⑦打率
.275