読売ジャイアンツの第7代4番打者「川上哲治」のプロフィール
1938年に東京巨人軍に投手として入団。
1939年から1シーズン制に戻り、同年に19歳にして首位打者を獲得。以後1941年にも首位打者に輝いた。
1946年8月26日の中日戦で、銀座の運動具メーカー南風運動具店からプレゼントされた赤いバットを使ってプレーした。この「赤バット」は川上のトレードマークとなり、青バットを使用した大下弘と共に鮮烈な印象を与えた。この運動具メーカーとの契約は、プロ野球選手のCM出演第1号ともいわれる。
1950年、シーズン2度の1試合3本塁打を記録(3月14日、4月16日)。
1953年4月26日プロ野球史上初の1500本安打を達成し、1956年5月31日の中日戦、中山俊丈投手からプロ野球史上初の2000本安打を達成した。この到達試合数(1646試合)は日本プロ野球最速記録である。しかし、川上は大正生まれであるため、日本プロ野球名球会の入会資格はなかった。これは野手として唯一の事例である。
プロ野球史上唯一の「V9」(9年連続セ・リーグ優勝・日本一)を達成するなど多大なる功績を残し、「プロ野球界の生き神様」とまで呼ばれる伝説的な存在でした。
「4番での通算成績」
①初試合
1939.5.11 対イーグルス4回戦
②試合数
1658
③打数
6420
④安打
2034
⑤本塁打
162
⑥打点
1130
⑦打率
.317