読売ジャイアンツの第8代4番打者「青田昇」のプロフィール
1942年に戦争で甲子園大会が中止となったため中学を中退し、同年7月に17歳で東京巨人軍に入団。1943年には打率.223、本塁打0本で打点王を獲得する珍しい記録となった。
1944年には巨人軍を退団し、自らの志願で陸軍航空隊に入隊した。遂に出撃命令を受けたが、その直前に終戦となる。
1946年に阪急ブレーブスで再びプロ野球に戻り、阪急で数年プレーしたあと1948年、三原脩総監督の誘いで巨人に復帰する。
以降は長打力に優れた打者として川上哲治・千葉茂らと共に活躍し、巨人の第2期黄金時代の一翼を担った。48年は川上と熾烈なホームラン王争いを演じ、共に当時のプロ野球記録となる25本で本塁打王を分け合う。
1953年に大洋松竹ロビンスに移籍。同年4月23日にサイクル安打を達成した。1954年8月には月間13本塁打を放ち、当時の球団記録を達成する。1956年5月6日川崎球場での対広島ダブルヘッダー(6・7回戦)で4打席連続本塁打を記録。1959年に現役引退。
テレビの解説者のイメージが私には強いですが勝負強い4番打者だったのですから、今のジャイアンツ選手に気合を伝授して欲しいですね。
「4番での通算成績」
①初試合
1943.4.10 対大和1回戦
②試合数
47
③打数
185
④安打
39
⑤本塁打
1
⑥打点
31
⑦打率
.211