読売ジャイアンツの第15代4番打者「小松原博喜」のプロフィール
横浜商業では第15回選抜中等学校野球大会に出場。卒業後、1942年に大和軍へ入団する。同年4月22日の試合では日本プロ野球記録を更新する1試合14与四球を記録している。翌年にチームが解散し、ヂーゼル自動車に入社する。1947年に読売ジャイアンツへ移籍しプロ復帰。この年に1試合ではあるが4番打者として試合に出場している。2リーグ制になった1950年には二番、中堅として自己最多の140試合に出場した。翌年からは控えの野手として出場し、日本シリーズにも出場した。1955年に国鉄スワローズへ移籍し、1957年に引退した。
wikipedia内『小松原博喜』より引用
主に内野手、外野手としてプレーし、1949年まで投手も兼任した二刀流の選手でした。画像を探して見たんですが残念なことに見当たらないです。どんな選手だったのか気になりますね。
「4番での通算成績」
①初試合
1947.7.27 対金星11回戦
②試合数
1
③打数
4
④安打
2
⑤本塁打
0
⑥打点
0
⑦打率
.500