読売ジャイアンツの第24代4番打者「与那嶺要」のプロフィール
1951年読売ジャイアンツのスカウトを受け、シーズン途中に来日し、入団。日本プロ野球では戦後初の外国人選手となった。1イニング3盗塁(日本タイ記録)や併殺崩し、本塁でのクロスプレーなどで本場仕込みの走塁技術を発揮し、同年シーズンは規定打数不足ながら打率.354を記録した。
翌1952年にはリーグ2位の打率.344・38盗塁を残し、オールスターゲームにも初出場を果たす。オールスターには以後8年連続で選出された。同年シーズンもリーグ5位の打率を残し、1954年には打率.361という自己最高の成績で自身初の首位打者を獲得。
1956年、球団史上初の開幕戦初回先頭打者本塁打を放つ。同年は打率.338で2回目の首位打者となり、リーグ5位の13本塁打を残した。翌1957年には打率.343で3回目となる首位打者を獲得し、MVPに選出される。
1962年に現役引退した。
巨人時代はベストナインを通算7回受賞するなどの活躍で第2期巨人黄金時代を支えた。1番・与那嶺、2番・千葉茂は当時球界屈指の1・2番コンビであり、4番打者の川上哲治とは首位打者を争うライバルであった。
「4番での通算成績」
①初試合
1958.6.14 対国鉄11回戦
②試合数
35
③打数
118
④安打
34
⑤本塁打
6
⑥打点
19
⑦打率
.288