なんちゃって村田のジャイアンツ blog

ジャイアンツ、試合結果、選手プロフィール

2015-04-11から1日間の記事一覧

読売ジャイアンツの第24代4番打者「与那嶺要」のプロフィール

1951年読売ジャイアンツのスカウトを受け、シーズン途中に来日し、入団。日本プロ野球では戦後初の外国人選手となった。1イニング3盗塁(日本タイ記録)や併殺崩し、本塁でのクロスプレーなどで本場仕込みの走塁技術を発揮し、同年シーズンは規定打数不足な…

読売ジャイアンツの第23代4番打者「柏枝文治」のプロフィール

ハワイ準州(Territory of Hawaii)のフェリントンハイスクールを卒業後、ハワイ朝日というアマチュア野球チームでプレーした。1953年に読売ジャイアンツ(巨人)に入団。巨人では宇野光雄が国鉄スワローズに移籍した後、三塁手のレギュラーポジションを獲得…

読売ジャイアンツの第22代4番打者「藤尾茂」のプロフィール

1953年に読売ジャイアンツに入団。 1955年に51試合にマスクを被って打率.286と打ち、同年の南海との日本シリーズでは、巨人が1勝3敗と追い詰められた第5戦に広田に代わってマスクを被って3番に抜擢され、初回に先制3点本塁打を放つ活躍で巨人の日本一に大き…

読売ジャイアンツの第21代4番打者「樋笠一夫」のプロフィール

読売ジャイアンツから熱心な勧誘を受け、1951年6月に入団する。当時の巨人外野陣は青田昇・与那嶺要・南村侑広らで充実していたことから樋笠は控えに回ることが多く、やがて代打の切り札として存在感を高めていく。1952年には代打として31回起用され、26打数…

読売ジャイアンツの第20代4番打者「宮本俊雄」のプロフィール

1955年に読売ジャイアンツに入団し、1年目から外野の控えとして51試合に出場する。2年目の1956年には南村侑広に替わって右翼手のレギュラーに定着してクリーンアップを打ち、打率.263(リーグ8位)、19本塁打、69打点を記録し打点王のタイトルを獲得。翌1957…

読売ジャイアンツの第19代4番打者「手塚明治」のプロフィール

松本商業から明治大学へ進学。卒業後、アマチュア野球の中央工業、今泉産業、小口工作所に所属した。1949年に読売ジャイアンツへ入団。1年目から控えの内野手として80試合に出場。2年目には三塁のポジションを獲得し、5番打者として117試合に出場した。翌年…

プロ野球 2015 巨人×ヤクルト 2回戦 〜東京ドーム〜

巨人 ヤクルト (左)金城 (三)川端 (二)片岡 (遊)大引 (右)亀井 (二)山田 (遊)坂本 (中)雄平 (中)長野 (一)畠山 (一)井端 (右)田中 (三)村田 (左)荒木 (捕)実松 (捕)中村 (投)田口 (投)石川 昨日の松本の壁ドンキャッチ…

プロ野球熱ケツ情報「ガッツポーズ」

今回はガッツ石松が世界戦で勝利して話題になったと言うことで「ガッツポーズ」がテーマです。 菅野選手は元ソフトバンクの斉藤和己選手がピンチを抑えた時に激しくガッツポーズしていたのに憧れていたそうです。 山口選手はやりたいけど咄嗟に出来ないみた…