読売ジャイアンツの第19代4番打者「手塚明治」のプロフィール
松本商業から明治大学へ進学。卒業後、アマチュア野球の中央工業、今泉産業、小口工作所に所属した。1949年に読売ジャイアンツへ入団。1年目から控えの内野手として80試合に出場。2年目には三塁のポジションを獲得し、5番打者として117試合に出場した。翌年は宇野光雄がレギュラーとして出場する事が多くなり出場試合も減った。1954年に宇野が国鉄スワローズに移籍したため再び三塁のレギュラーを獲得した。この年は4番打者を務める試合もあった。1955年に大洋ホエールズに移籍し、自己最多となる123試合に出場した。翌年に引退
wikipedia内『手塚明治』より引用
5試合とは言え伝統の巨人軍で4番打者を務めたのですから素晴らしい選手だと思います。
「4番での通算成績」
①初試合
1953.5.16 対洋松8回戦
②試合数
5
③打数
13
④安打
3
⑤本塁打
0
⑥打点
1
⑦打率
.231