読売ジャイアンツの第22代4番打者「藤尾茂」のプロフィール
1953年に読売ジャイアンツに入団。
1955年に51試合にマスクを被って打率.286と打ち、同年の南海との日本シリーズでは、巨人が1勝3敗と追い詰められた第5戦に広田に代わってマスクを被って3番に抜擢され、初回に先制3点本塁打を放つ活躍で巨人の日本一に大きく貢献、藤尾はそのまま捕手のレギュラーポジションに定着した。翌1956年からは6番を打って、打率.276(リーグ5位)、14本塁打、打点58を挙げ、3部門ともリーグ5位以内に入り、オールスターゲームにファン投票で選出されるとともに、ベストナインも獲得した。
1959年は俊足と持ち前の長打力を生かす目的もあり、引退した川上の後釜として一塁手に移った与那嶺要に替わって、守備の負担の少ない外野手にコンバートされ、5番打者としてクリーンナップを打った。
1961年には川上新監督の下で主将を務め、捕手に復帰するが、この頃より急激な打撃不振に陥る。
1965年には公式戦出場のないままシーズン終了後に現役を引退した。
wikipedia内『藤尾茂』より引用
捕手にして俊足、長打力のある打撃、強肩、そして闘志溢れるプレーから、戦後の「巨人軍最強の捕手」「吉原二世」という評価もされている。
「4番での通算成績」
①初試合
1955.10.10 対阪神26回戦
②試合数
13
③打数
47
④安打
10
⑤本塁打
2
⑥打点
7
⑦打率
.213