読売ジャイアンツの第21代4番打者「樋笠一夫」のプロフィール
読売ジャイアンツから熱心な勧誘を受け、1951年6月に入団する。
当時の巨人外野陣は青田昇・与那嶺要・南村侑広らで充実していたことから樋笠は控えに回ることが多く、やがて代打の切り札として存在感を高めていく。1952年には代打として31回起用され、26打数9安打の打率.346でリーグトップの代打成功率を収めている。1953年は12本、1954年は11本と2年連続で二桁本塁打を記録した。その後は代打での出場が主となるが、1956年3月には中日ドラゴンズの杉下茂から日本プロ野球史上初の代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、さらに4月には大阪タイガースの小山正明からシーズン2本目となる代打サヨナラ本塁打を打っている。
1957年に現役を引退、その後は1958年にノンプロのヤシカ監督、1960年から1961年に近鉄バファローのコーチを務めた。
2007年6月17日死去。87歳没。死去の事実は2年後の2009年まで知られていなかった
wikipedia内『樋笠一夫』より引用
日本プロ野球史上初となる「代打逆転サヨナラ満塁本塁打」を放った輝かしい記録を残した素晴らしい選手でした。
「4番での通算成績」
①初試合
1955.10.8 対国鉄25回戦
②試合数
4
③打数
13
④安打
3
⑤本塁打
0
⑥打点
2
⑦打率
.231