読売ジャイアンツの第26代4番打者「坂崎一彦」のプロフィール
1956年に巨人に入団。打法をコンパクトなフォームに変え、3年目の1958年に108試合に出場しレギュラーに定着し、初めてオールスターゲームに出場する。
1959年には主に五番打者を務め、打率.284、15本塁打、64打点を記録、ベストナインを受賞した。同年の天覧試合にも出場し、5回裏に長嶋茂雄に続く連続本塁打を放っている。
1962年は打率.276、6本塁打、44打点を挙げ三度目のオールスターゲーム出場を果たした。
1963年には代打としても36回起用され、30打数11安打で打率.367とリーグトップの代打率を残している。
1964年に代打では打率.417を挙げるものの、シーズンでは打率.237と打撃が低迷すると、同年オフに巨人から坂崎・山崎正之・池沢義行、東映から吉田勝豊・安藤元博・石原碩夫の3対3の交換トレードで東映フライヤーズに移籍する。
1967年限りで現役を引退し、家業の電気工事店を継いだ。また、全国野球振興会会員でもあった。
2014年1月28日午前1時40分、胃癌のため大阪府豊中市の病院で死去。76歳没
wikipedia内『坂崎一彦』より引用
長嶋茂雄・王貞治とクリーンナップを組んで五番を打っていたなんて素晴らしいですね。
「4番での通算成績」
①初試合
1959.7.21 対広島14回戦
②試合数
12
③打数
44
④安打
10
⑤本塁打
2
⑥打点
4
⑦打率
.227