読売ジャイアンツの第45代4番打者「中畑清」のプロフィール
1979年に一軍に定着。三塁手の高田が怪我で離脱した際に先発で起用され、高田の復帰後もレギュラーを守った。この年の新人王の資格もあったがシーズン終盤で骨折し、新人王はならなかった。
1981年シーズン途中怪我で戦線離脱。中畑が戦線復帰すると山本に代わり一塁に収まり、その後も一塁手として出場することになった。この年巨人は1973年のV9以来の日本一を奪回し、中畑も規定打席に到達したシーズンでは自己最高打率の.322、16本塁打、66打点という成績をあげた。
1984年、オールスターゲームで第2戦、第3戦にまたがる2打席連続本塁打を放つ。
1985年11月5日には日本プロ野球選手会が労働組合としての認可を受けた事に伴い労組としての初代会長へ就任した。
1989年、シーズン序盤、甲子園での試合中に牽制球で一塁に戻った際に指を痛め、長期戦線を離脱定位置を失った中畑はこの年終盤に早々と引退を表明した。
現役最後の試合となった同年に行われた近鉄との日本シリーズ第7戦(藤井寺球場)では、吉井理人から本塁打(この後、もう1打席回ったが、最終打席は三塁フライに終わった)を放ったのは今でも忘れません。
「4番での通算成績」
①初試合
1981.4.11 対阪神2回戦
②試合数
219
③打数
850
④安打
242
⑤本塁打
44
⑥打点
147
⑦打率
.285