読売ジャイアンツの第46代4番打者「ゲーリー・トマソン」のプロフィール
1972年から1980年までメジャーリーグでプレーし、ロサンゼルス・ドジャースをはじめ計4球団を渡り歩いた。1978年にはニューヨーク・ヤンキースで優勝も経験している。なお、この時のメンバーには後に巨人でもチームメートになるロイ・ホワイトがいた。
1981年、読売ジャイアンツに入団。引退した王貞治の穴を埋める存在として期待された。しかしこの年、打率.261、本塁打20本を記録したものの、同時に三振132(当時の球団新記録)を喫し、大幅に期待を裏切り、「舶来扇風機」、「三振王」、「トマ損」、「害人」(外人のもじり)などと揶揄された。また、守備でも、同年の日本シリーズでは、失点にからむ失策を記録した。
2年目の1982年の出場は47試合にとどまり、さらに藤田元司監督とトラブルを起こしたため、同年限りで解雇。
トマソンの名は、赤瀬川原平らが提唱した「不動産に付着して美しく保存されている無用物」という意味の「超芸術トマソン」という呼び名に転用された。
「4番での通算成績」
①初試合
1981.5.15 対阪神7回戦
②試合数
26
③打数
96
④安打
23
⑤本塁打
3
⑥打点
11
⑦打率
.240