読売ジャイアンツの歴代ストッパー「石毛博史」のプロフィール
1992年、宮田征典投手コーチに「故障で長いイニングは持たないが、連投の効く体質を見出され(本人談)」、藤田元司監督に抑え投手としての適性を見出される。
1993年には最高速154km/hの荒れ球のストレート(故障で肘が曲がっていることによる)とフォークボール・スライダーを武器に当時の球団記録となる30セーブを挙げ、最優秀救援投手のタイトルを獲得。1994年にもリーグ最多の19セーブを挙げる
1993年から1994年にかけて、当時の監督であった長嶋茂雄は、セットアッパー橋本清と共に、勝ちパターンのリリーフコンビとしてこの二人を「勝利の方程式」と呼び、この言葉をマスコミの間に広めた。
1995年には100セーブポイントを達成する。
1996年日本シリーズでは好投しシリーズ第4戦この年唯一のシリーズチーム勝利の試合で自身初となるシリーズ初セーブを記録した。
30セーブを挙げて最優秀救援投手のタイトルを獲得した速球派のピッチャーでした。
「通算成績」
①初試合
1991年4月18日、対横浜大洋ホエールズ戦
②登板数
375
③勝敗数
34勝29敗83セーブ
④勝率
.540
⑤防御率
3.44
⑥タイトル
最優秀救援投手:1回 (1993年)