読売ジャイアンツの第31代4番打者「相羽 欣厚」のプロフィール
1962年に読売ジャイアンツに入団し主に代打を中心に活動した。
1964年6月17日の中日ドラゴンズ戦に左翼手として出場していた際、ジム・マーシャルの大飛球をジャンプして取ろうとした直前レフトスタンドのファンが身を乗り出してこのボールを取ってしまった際に左翼外審は「ファンがボールを取らなければ捕球できた」と判断しアウトを宣告したという「幻のホームラン事件」に関わっている。
また1965年に4試合4番を打ったことがあるので、読売ジャイアンツ第31代4番として記録に残っている。
1973年には南海ホークスに移籍し、外野手として87試合、打率.287と自己最高の成績をあげた。1974年オフに村上雅則と共に、和田徹と野上俊夫との交換トレードで、阪神タイガースへ移籍。左投手に滅法強かった事から、安田猛・松本幸行対策として採用された。1975年引退。
引退後は、阪神で二軍打撃コーチや守備コーチとして9年、日本ハムファイターズで打撃コーチを2年務め、多くの若手野手を育てた。
1988年1月29日、膵臓癌で他界した。享年44。
wikipedia内『相羽 欣厚』より引用
4試合だけの4番ですが1本ホームランを打っているので素晴らしですね
「4番での通算成績」
①初試合
1965.10.17 対阪神28回戦
②試合数
4
③打数
15
④安打
6
⑤本塁打
1
⑥打点
3
⑦打率
.400