読売ジャイアンツの歴代ストッパー「角三男」のプロフィール
1年目の1978年に5勝7セーブで新人王を獲得。その年のオフにサイドスローに転向して才能が開花した。球速こそ落ちたものの、課題だったコントロールが向上したことから頭角を現す。
制球力に課題があるため完投が期待できず、先発投手としては難があったものの、変則的なフォームでタイミングが取りづらいことや地肩が強く連投が利く特長を生かして、早くから抑えのエースとして活躍、1981年には8勝20セーブで最優秀救援投手のタイトルを獲得して、チームのリーグ優勝にも貢献した。
右サイドハンドの鹿取に対し、左サイドハンドの角はセットアッパーやワンポイントリリーフとして重用され、長く巨人のリリーフ陣の核として活躍した。王貞治監督時代の勝利の方程式「角-鹿取-サンチェ」は流行語にもなっている。
wikipedia内『角三男』より引用
「通算成績」
①初試合
1978年4月4日、対横浜大洋ホエールズ1回戦
②登板数
618
③勝敗数
38勝60敗99セーブ
④勝率
.388
⑤防御率
3.06
⑥タイトル
最優秀救援投手:1回 (1981年)
⑦節目の記録
500試合登板:1988年5月11日、対横浜大洋ホエールズ4回戦
600試合登板:1992年8月5日、対阪神タイガース15回戦