読売ジャイアンツの歴代ストッパー「マリオ・ブリトー」のプロフィール
1996年シーズン途中に巨人がストッパー候補だった西山一宇、石毛博史の不振を受け獲得した。先に入団した同じドミニカ出身のバルビーノ・ガルベスが台湾球界に所属していた頃の同僚でガルベス自身の紹介による入団だった。
来日初登板となった5月7日の対広島戦では4者連続三振を奪う活躍で初セーブをマーク。その後も主にクローザーとして起用され、前半戦終了時点で1勝14セーブの好成績でリリーフ陣の救世主的存在となる。しかし後半戦に入ると打ちこまれる試合が目立ち結局5セーブしか挙げられず、最終的にクローザーの座を川口和久に明け渡した。トータルで39試合に登板、3勝2敗19セーブ、防御率3.33という成績で「メークドラマ」と言われる逆転優勝に貢献し日本シリーズにも出場したが、後半戦の不振が響き1シーズンで退団となった。決め球は長身から放たれる落差50cmのフォークボールで「お化けフォーク」と呼ばれた。
フォークボールの落差が激しかったのを良く覚えてます。もう少し制球力があれば翌年も活躍できたのでしょうね。
「通算成績」
①初試合
1996年5月7日、対広島東洋カープ5回戦
②登板数
39
③勝敗数
3勝2敗19セーブ
④勝率
.600
⑤防御率
3.33