読売ジャイアンツの第11代4番打者「須田博(ヴィクトル・スタルヒン)」のプロフィール
1936年、東京巨人軍に入団。7月3日の大東京戦に救援登板し、3イニングを無失点に押さえて巨人の公式戦初勝利に貢献した。1938年から1943年まで続く6連覇に大きく貢献した。1937年7月3日にはノーヒットノーランを達成。1939年に日本記録となるシーズン42勝をあげ最多勝を獲得、MVPに輝いた。同年、プロ野球初の通算100勝を達成している。165試合目での到達は現在も破られていない史上最速記録である。
戦後の1946年にパシフィックに復帰し同年10月に史上初の通算200勝を達成した。
1949年には27勝を挙げて9年ぶりに最多勝利のタイトルを獲得している。
1955年9月4日のvs大映戦(西京極)で史上初の通算300勝を達成したが、後になって1939年の記録を当初の公式記録通りに戻したため、同年7月30日に開かれた近鉄パールス戦(川崎球場)での勝利が300勝となる。同年、現役引退。
wikipedia内『須田博(ヴィクトル・スタルヒン)』より引用
球場名もある偉大なピッチャーですが1試合とは言えピッチャーで4番をやっていたのですから凄い選手でしたね。昔の映像があれば是非見てみたいものです。
「4番での通算成績」
①初試合
1944.4.10 対阪急1回戦
②試合数
1
③打数
5
④安打
1
⑤本塁打
0
⑥打点
0
⑦打率
.200