読売ジャイアンツの第69代4番打者「小久保裕紀」のプロフィール
2004年、3番・三塁手で阪神との開幕戦に出場すると、翌試合に福原忍から東京ドームのライトスタンド中段へ移籍後初安打・初本塁打を記録。5月には負担の少ないすり足打法から元の一本足打法に戻すと、本塁打を量産。前半戦最後の3連戦で4本塁打を放つなど活躍し、7月度の月間MVPに輝いた。シーズン後半にはアテネ五輪で離脱した高橋由伸に代わって巨人軍第69代4番に座り、長嶋茂雄、原辰徳、落合博満、清原和博らも達成できなかった巨人の右打者としては史上初のシーズン40本塁打以上(41本塁打)を達成。日本人での巨人右打者40本塁打以上は小久保のみである。打率では、自己新の.314を記録した。
2005年、交流戦初年度に12本を放ち、交流戦本塁打王になる(タイで4人受賞)。横浜・土肥義弘からプロ入り初の3打席連続本塁打を放つなど、シーズンでは34本塁打を記録し、低迷するチームの中で孤軍奮闘の活躍をみせた。
2006年、巨人代表清武英利に巨人軍第17代目の主将を依頼される。主将制度は1998年の吉村禎章以来8年ぶりに復活されたが、移籍選手の主将指名は初。
右打者で40本以上打ったジャイアンツの中でも素晴らしい4番打者でしたね
「4番での通算成績」
①初試合
2004.7.23 対横浜17回戦
②試合数
173
③打数
654
④安打
185
⑤本塁打
40
⑥打点
107
⑦打率
.283