読売ジャイアンツの歴代ストッパー「広田浩章」のプロフィール
萩商高から電電中国(1985年度よりNTT中国)を経て、1985年のドラフト会議にて読売ジャイアンツから2位指名を受け入団。
巨人時代の1989年、150km/h近い快速球を投げるのにもかかわらずコントロールも良いという特長を当時の藤田元司監督に見込まれ、それまで抑え役だった鹿取義隆に代わって抑えで活躍。ナックルカーブ(当時はナックルと言われていた)を武器にする投手として知られた。
その後は故障に苦しみ、1994年に巨人を戦力外通告され自由契約となり阪神タイガースの入団テストを受け合格も、恩師の王貞治監督に誘われ福岡ダイエーホークスに入団。
2001年からダイエー(現ソフトバンク)の打撃投手を2011年まで務め、現在はスコアラーを務めている。
在籍した4球団全て戦力外通告、自由契約となった珍しい選手である(同様のケースで近鉄 - 日本ハム - 阪神 - ダイエーでプレーした柴田佳主也がいるが、こちらは4年連続自由契約。移籍はすべてテスト入団)。
wikipedia内『広田浩章』より引用
速球も早くコントロールの良いピッチャーで故障さえしなければジャイアンツでもっと活躍できたのでしょうね。
「通算成績」
①初試合
1987年6月6日、対広島東洋カープ9回戦
②登板数
342
③勝敗数
29勝19敗30セーブ
④勝率
.604
⑤防御率
3.00